道楽記

Last Flight of ANA's B747

2014年3月31日、ANAに最後まで残ったB747-400D、JA8961がラストフライトを迎えた。このラストフライトで、日系キャリアから旅客型のB747シリーズが完全退役する事となる。1970年にJALが初導入したB747-100、JA8101に始まった日本のジャンボジェット約44年の歴史に一区切り付く事となった。
(※NCAではB747-8Fが2020年現在も現役で世界の空を駆けている。)


~ラストフライト前日~

ラストフライトの前日、3月30日友人らと羽田で合流し、新千歳行き最終便のNH69便から撮影。ちなみに、合流した友人らは福岡発最終便NH250便に搭乗して上京する熱の入り様。NH250便は1時間程遅れて到着した為、出迎えもそこそこに展望デッキへ上がった。

f:id:nnr4018:20190905003813j:plain

NH250便の遅れを引きずり、NH69便も30分程遅れて出発となった。雨の降りしきる中、タクシーアウト。C滑走路へ向かう。この存在感のある後ろ姿もよく見ると、かなり年季が入っている。新しいイメージを持っていた-400型も20年選手になってしまったのだから、仕方ない。

16Lへラインアップ、いよいよテイクオフだ。シップにとって通い慣れた北海道へのフライトもこれが最後となる。また、このJA8961と共に就航地毎のラストを飛ぶクルー達の心中を慮るばかりである。
感傷的になっている内に、4発のエンジンが咆哮を上げ、離陸滑走を始める。雨水の羽衣を靡かせ、颯爽と宙へ舞い上がる。エアボーン、興奮の一瞬だ。双発機には無い迫力のシーンだ。あっという間に、低く垂れ込めた雲の中に吸い込まれて行った。

2000年代初頭までは羽田ベースの千歳線、福岡線はB747が主役だった。ANAJALもスポットには新旧のB747がずらっと並んだ壮観な光景が当たり前であった事を思うと、僅か10年で日本の空事情もかなり変ったのだと思い知らされた。

f:id:nnr4018:20190905004246j:plain
f:id:nnr4018:20190905005529j:plain
f:id:nnr4018:20190905010312j:plain f:id:nnr4018:20190905010450j:plain

昼間の雨も上がった午後8時、NH74便として新千歳からの最終フライトを終えてスポットイン。結局、NH250便での遅れを引きずり、約1時間遅れでの到着となった。
この日のフライトはこれで終わり。無事にフライトを終えた事を安堵する様にその翼を休めた。

f:id:nnr4018:20190906235656j:plain
f:id:nnr4018:20190906232702j:plain正面からだと2階部分の造形がよく分かる。どこから見ても美しい機体である。

B747の巨体がエプロンに設置された水銀灯に美しく照らし出された。広大なスポットもB747が駐機すると狭く見える。この様子を見ることが出来るのは今日が最後。一枚一枚に重みを感じつつシャッターを切った。

f:id:nnr4018:20190906233352j:plain
 

~ラストフライト当日 HN127便~

2014年3月31日、遂にラストフライト当日である。この機体が乗客を乗せて飛ぶのも、残すはあと2便だけだ。往路がNH127便、復路がNH126便として羽田・那覇間を往復してラストフライトを飾る。早朝より展望デッキへ向かったが、既に黒山の人だかり。なんとか場所を確保して撮影に臨んだ。昨日と打って変わって文句ナシの快晴。最高の撮影日和となった。

f:id:nnr4018:20190907001659j:plain

本日の主役の後ろに控えるのは、B787-8。B747の退役時期を遅らせた張本人との、何とも因果な一枚であるが、去る者とこれからを担う者とが最後に並んだ。

f:id:nnr4018:20190907001735j:plain

f:id:nnr4018:20190907002430j:plain

いよいよ、タクシーアウト。
撮影場所の関係で写真に写って居ないが多くの社員や報道陣に見送られて滑走路へ向かう。
この日の羽田空港は北風運用。北風運用時の南行きは通常、D滑走路05からの離陸だが、このフライトはC滑走路34Rからの離陸となった。クルー達の粋な計らいだったそうだ。

f:id:nnr4018:20190907002453j:plain

続いてテイクオフ。
4発のエンジンが唸りを上げて巨大な機体を前へ前へと加速させる。その加速が翼面を流れる空気の流速を増加させ、揚力を得る。揚力が機体に掛かる重力に勝るとエアボーン。100tを優に超える重量物が空気と一体になり、空へ駆け上がる。その様は理論的に理解出来でも神秘的に見えてしまう。まさに人類の叡智の結晶と言えよう。

詰めかけたファンが一斉にカメラのシャッターを切る中、ラストフライトが始まった。
昨日の雲が垂れ込めた空が嘘の様に晴れ渡った快晴の空へ飛び立つと、みるみる高度を上げつつ右旋回。東京湾を一周した後、那覇空港へ向けて針路を南へ取った。

f:id:nnr4018:20190907002925j:plain
f:id:nnr4018:20190907002943j:plain
f:id:nnr4018:20190907003137j:plain

~ラストフライト当日 NH126便~

最後はランディング。浮島町公園で最後のランディングを見届ける事にした。
遂にラストフライトも終わりを迎える。NH126便として那覇空港を発って2時間半、間もなくアプローチコースに入ってくる。通常の北風運用時、南方面からの到着機はA滑走路34Lを使用する。なので、浮島町公園の撮影地選択は間違っていない筈。しかし、脳裏によぎるのは朝のリクエストの事。やきもきしながら待っていると、”34L approach !!”と、何処からか聞こえた。(やはり一度、34Rをリクエストしたが、管制に断られたらしい)

f:id:nnr4018:20190907003643j:plain

展望デッキで待っていた諸兄には申し訳ないが、34Lに賭けて正解だった。しかし、特別なフライトだった事を考えると34Rに降りる可能性もかなり高かっただろう。そう思うとリスキーな賭けである。
いよいよ遠くに機影が見えた。早く来て欲しくもあり、ずっと来なくて欲しくもある。そんな心持ちで、眺めていた。

f:id:nnr4018:20190907003746j:plain f:id:nnr4018:20190907003801j:plain

そして、小さく見えた機影が次第に大きくはっきりと見えてきた。カメラを構え、超望遠域から望遠域へと夢中になってシャッターを切り続けた。兎に角、一枚でも多く色々な角度から写真に残しておきたい一心だった。
ANA最後のB747の商業フライトを飾ったNH126便は、少し傾いた午後の日差しを浴びて眼前を飛び去った。

f:id:nnr4018:20190907003821j:plain

羽田空港への最後のランディング。通い慣れたA滑走路34Lに降りるのもこれが最後だ。タッチダウン後も猛々しいスラストリバーサーのサウンドを奏で、有終の美を飾った。

ラストフライトも無事に終えたこのJA8961は、2014年度ANAグループの入社式に参加したそうである。まさに名実共に名機として、惜しまれつつも日本の空から去った。その機体と同じく、美しい幕引きだった様に思う。

 

~ラストフライト 番外編~

本当の“ラストフライト”はアメリカへのフェリーフライトである。様々な情報が交錯する中、いよいよ動きがあったのは、白熱したあの日から2週間ばかり経った4月16日。フライトスケジュールも分からない中、当日の18時過ぎにアンカレッジ空港行きのHN9432便が設定されてから、弾かれたように羽田空港へ向かったものである。

f:id:nnr4018:20200410231445j:plain

NH9432便は午後9時10分過ぎ、“あの日”と同じC滑走路34Rから離陸した。
JA8961、最後のB747-400Dアンカレッジ空港を経由して最終目的地テューペロ・リージョナル空港へ向けて片道の“ラストフライト”に飛び立つ。日本の国内線専用にアレンジされた-400Dは他の-400と違い次の就役先も無い。テューペロ到着後は部品取り用に解体され、もう二度と大空を飛ぶ事はないのだ。
人も疎らになった夜の展望デッキに居るのは熱烈なファンばかり。電飾されたメッセージカードを持参する者もいた。そんなファン達に見送られて東京の夜空へ舞い上がった。


 

あれから、もう6年が経とうとしているが、未だに忘れ得ぬ思い出である。その間に政府専用機B747-400からB777-300ERに代わり、ますますB747型の旅客機としての需要は下がる一方だ。あの日に羽田を発った“彼女”の機体の一部が、今日もまだ世界の空のどこかを飛んでいる事を願って止まない。